今回はお墓特集ということで蜀の2人の名士のお墓を
紹介します。
蜀の未来を創った龐統と諸葛亮死後、蜀を支えた蒋琬です。
目次
龐統とは
龐統、字を士元といいます。
荊州の襄陽郡の生まれで、別名「鳳雛」とも呼ばれていました。
諸葛亮孔明が「伏龍」龐統が「鳳雛」。この2つの名前は聞いたこと
がある人も多いのではないでしょうか。
龐統は諸葛亮とは逆なタイプでした。
口下手であり、司馬徽(人物鑑定で有名)に才能を認められるまでは
全く評判を得ませんでした。
しかし、その後は頭角を現し、孫権領の郡に仕え、
最後には劉備の軍師になります。
龐統は、劉備が荊州を領した時に劉備に仕えています。
最初は県令の職に就いていましたが、仕事が暇すぎて、やる気が起き
ずついに罷免されてしまいます。
しかし、劉備はm魯粛や諸葛亮から「龐統は大役を与えてこそ実力を発揮する。県令なんて彼にやらせるべきではない。」
という助言を受け当時の諸葛亮と同等の地位である、軍師中郎将に
任命されます。劉備はついに伏龍、鳳雛の2枚看板を手に入れます。
龐統は、劉備に劉璋を討つよう進言し、ついに益州遠征を決行させます。
この時、劉備に従軍したのは諸葛亮ではなく、龐統でした。
しかし、龐統はこの益州遠征で流れ矢にあたり戦死してしまいます。
36歳という若さでした。
龐統があと30年生きていたら蜀の運命ももう少し明るかったことでしょう。
龐統の死は劉備を大いに悲しませました。
龐統祠墓
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龐統のお墓は四川省徳陽市羅江鎮白馬村にあります。
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この日はなにやら村のお祭りがあったみたいで、
地元のおじいちゃんお婆ちゃんが門に沿ってなにやら売ったり
何かを食べていたりと不思議な光景でした。
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普段はこんな人はいないみたいですね。
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門の入り口で10元(約170円)払い中へ
この道は金牛道と呼ばれる道。
成都から西安までを繋いでいた古道。
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このような壁がずっと続きます。
これも歴史がある壁なんだとか。
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龐統祠墓の中心地
中には地元の人が麻雀をしたりなんだりで結構騒がしかったです。
漢靖候龐統祠
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龐統のお墓への入り口です。
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こちらの建物に初めに入っていきます。
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龐統像です。入り口から赤色が目立ちますが龐統と何か関係が
あるのでしょうか。
龐統像のほかに三国時代を表した絵が飾られていました。
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蜀漢五忠
左から李球、張遵、諸葛瞻、黄崇、諸葛尚
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諸葛亮と龐統が語っている場面
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こちらの建物にも龐統像
龐統のお墓
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正面はこのようになっています。
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「漢靖候龐士元之墓」
劉備は自ら龐統の墓の場所を選び、祠を建てました。
諸葛亮や張飛も彼の死を惜しみ、弔いに来たそうです。
この祠は清朝康時代に建てられたものです。
龐統の他の周りを願い事を唱えながら周ると
願いが叶うというものがあるそうですよ。
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超秘殿なるものも同じ敷地内にありました。
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自然に囲まれていてとても良い場所でした。小高い山の上にあります。
お祭りがなければ・・・
蒋琬祠墓
続いては、龐統墓から車で1時間半程度離れたところにいある
蒋琬祠墓です。
蒋琬とは
蒋琬は荊州零陵郡の生まれ。
劉備が入蜀する前に仕官しています。
劉備死後、劉禅、諸葛亮を支えた人物です。頭がよく、内政に優れ
諸葛亮に「国家を担う器がある」と言わせるほどです。
諸葛亮、董允、費禕らとともに「四相」と称されていました。
諸葛亮死後は、国家を任され、最終的には諸葛亮と同じ丞相職
を担っていました。
蒋琬墓へ
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こちらから入場していきます。
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蒋琬のお墓も少し小高い山の上にあり、今では地元の人が集う公園
になっているようです。
舞踊かなにかをしているおばさま集団に遭遇しました。
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こちらの建物から撮影した一枚。
遠くにビル群、近くは民家。中国ではよく見る風景です。
3月にこちらへ行きましたが四川省はあまり黄砂の影響を受けない
らしく、視界ははっきりしています。
蒋琬墓入り口
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こちらが蒋琬のお墓への入り口となります。
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門を抜け、こちらの一本道を歩いていきます。
蒋琬のお墓は、長きに渡る戦乱のため、草木は茂り、荒れ放題
だったそうです。
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1849年、李象丙らによって元の地に蒋琬のお墓を再建され、
その時、こちらの石碑が建てられました。
高さ 2.45メートル「漢大使馬蒋恭候墓」と記されています。
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綺麗な八角系をしています。
高さ4メートル、周囲は25メートル。
龐統のお墓と同じくらいの大きさです、
しかし、形はとても綺麗に作られています。
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お墓の後方に陳寿が記した蜀書蒋琬伝が。(正史三国志)
さすが蜀漢の丞相ですね。このような立派なお墓はあまりないです。
劉備や諸葛亮等と比べ、知名度は低いですが、蜀漢を支えた
人物の1人です。立派なお墓があって当たり前ですね。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
今回はお墓特集ということで、龐統、蒋琬の2人のお墓を紹介しました。
お墓を見ればその人物がどんな地位で、どんな人だったのかを
知ることができます。
劉備のような皇帝は大きなお墓になりますし、龐統や蒋琬のような
軍師や文官のお墓は小さいけれど、それぞれに特徴がありますね。
三国志の時代を生きた人物のお墓は大半が再建、修繕されたものですが、
場所等は昔から同じ場合が多いです。お墓の周りにも
興味深いものがたくさんあります。
龐統、蒋琬のお墓は中国旅行の観光スポットでもあるので
ぜひ一度訪れてみてください。
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