以前、上記のブログ「『蜀の都を歩く』成都武侯祠part1」では、
成都武侯祠にある、「漢烈昭廟」、「明良千古」、「蜀の武将たち」「武侯祠」、
「名垂宇宙」、「三義廟」をご紹介しました。
今回は成都武侯祠の後半部分をご紹介いたします。
目次
漢昭烈之陵
「漢昭烈之陵」または「漢昭烈皇帝之陵」
どちらも意味は同じで、劉備のお墓です。ただ、本当にここが劉備のお墓であるのか
はいまだ不明です。
劉備の本当のお墓はどこなの?
実は、「ここが劉備の本当のお墓だ!」と主張しているところが何ヵ所かあります。
1ヵ所目は四川省眉山(びざん)市
2ヵ所目は四川省彭山(ほうざん)市彭山区
3ヵ所目は蓮花(れんか)村と
4ヵ所目が重慶市奉節(ほうせつ)県
です。
しかし、現在、どれが本当でどれが偽物か、決定的な証拠がないため、
判断できない状態です。
私の自論ですが、
劉備は、白帝城でなくなり、成都に遺体が送られます。
その後、国葬を行い、遺骨をお墓に納める。という流れになると思います。
わざわざ成都から遠くまで遺体を運ぶはずもなく、やはり、成都近郊にお墓はあるはずです。
1800年の間には、いろいろなことがあったと思います。
墓泥棒に証拠となる品を盗まれたり・・etc
なので、成都近郊にあり、劉備のお墓だと主張しているところは
どこも可能性はあると思います。
答えは出せませんね笑
ここ成都武侯祠が本当のお墓であることを願います。
それでは、劉備のお墓へ行くとしましょう。
三義廟を出ると、このようななんとも東南アジアチックな道にたどり着きます。
よく見ていただければ分かると思うのですが、奥のほうにある
レンガ造りの壁みたいなところが、まさしく劉備のお墓です。
外観はこのような形をしています。
こちらをくぐると
漢昭烈皇帝之陵の文字が。
ここが劉備のお墓とされているところです。
「恵陵」といいます。
こちらのお墓、日本でいう円墳にとても似ています。(円墳とは平面が円形の古墳を指します。)
蜀漢の皇帝というだけあって、大きさもそれなりに大きいです。
さすがに秦の始皇帝のような大きさではありませんが。
登ることもできるそうなので、実際に登ってみました。
お墓に登るってかなり不謹慎だったなと今でも反省しています。
劉備のお墓をぐるっと一周するだけですが、
僕は普段感じることのないワクワク、ドキドキした気持ちになりました。
三国志好きの僕にとってやはり、劉備とは偉大な人物です。
そんなお方がこんな近くで眠っているなんて・・・
って考えたらテンションがすごく上がりました。
パワースポットかもしれません。
いろいろ見せます!成都武候祠
これでメインの観光スポットはおしまいですが、まだまだ見物するものはたくさん
ありますのでご紹介いたします。
三國文化陳列
斧、戟、偃月刀です。
三国志演技では、戟は呂布が使っていた方天戟、偃月刀は、関羽が使っていた
青龍偃月刀なんかが有名ですね。なんと中国では、関羽が使っていたことから
関刀(グアンダオ)という呼称も付けたそうです。
三国志演義に関する詩
こちらは三国志演義のために作られた詩がありました。
誰か翻訳してください笑
明碑
こちらは明の時代、1547年に張時徹が石碑に刻んだとされるものです。
おわりに
2回にわたり成都武候祠をご紹介しました。
蜀の都である成都は三国時代の遺産がたくさん残っています。
武候祠にしても、成都武候祠以上に蜀の武将を祀っているところは他には
ありません。
写真だけではお伝え出来ないことがたくさあります。
何度も言いますが、成都武候祠は数ある武候祠の中で最も有名な場所です。
ここまで整った劉備のお墓を見れる場所も他にはありません。
ぜ日みなさんの旅行の参考にしてください。
※この値段は学割価格です
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